ナオヤが出て行った後、俺は付けていたヘッドホンを外した。 (…壊れてるって、いつ気付いたんだろうな……) 見た目で言えば一週間の封鎖のせいで汚れているくらいで、特に破損は見られない COMPのハーモナイザーは人間にのみ効果があるのか、それともどこかでぶつけたのかは分からない 気付いたらいつの間にか左側から音が出なくなっていた。 汚れたままだとさすがにナオヤに悪いと思って、ティッシュを水にぬらして汚れを落とし始める 基本的に手垢や土の汚れだけなので、ある程度は簡単に落ちた。 細かい傷だとかは仕方が無いので諦めて、パソコンの脇に置いておく 「……………」 普段ならば車やバイクの音が響いてくるナオヤの部屋も、今は車の通る音がせず静かだった。 パソコンの立てるファンくらいしか音らしい音が無くて部屋は何処か心地よい無音に包まれていた。 そんな中で封鎖での疲れや湯上りの温かさから、いつの間にか俺は眠っていた。 「…そんなところで寝ていると風邪をひくぞ」 俺が風呂からあがると、ミタカは先程まで座っていたのと同じ位置で行き倒れるようにして眠っていた。 声をかけても返事が無いのでよほど深く眠っているのだろうと思い、担ぎあげて寝室へ運ぶ (…風呂から出たらすぐに髪を乾かせとあれほど言ったんだがな……) ミタカは昔からドライヤーで髪を乾かすのが好きではないらしく、大抵濡れたまま放っておく 冬でも平気でそれをやるので、小さい時は良く風邪を引いた。 今は夏で、こいつももう風邪をひくほどヤワではないだろう…せいぜい寝癖が酷くなる程度だ 明日の朝、鏡を見てミタカが「何で乾かしておいてくれなかった」とかなんとか理不尽な事を 言いだす様を想像して、少しだけ口端を釣り上げる。 それから少しだけその寝顔を眺める。 ”それはナオヤも同じだろ” 封鎖の最終日、青山霊園で相対した時に、自分がいなければ何もできないと言った俺に対し ミタカが言った言葉だ。 あの時は少々心を乱されたが、今思えば何と愉快な事だろう。 抑えがたい歓喜に、俺は哂う。 「フ……ククッ…ククク……言う様になった…以前はただ因子を持ち、平穏の中を過ごしていた ミタカも、言う様になった…クク……そうだ、もうお前は…ただ神に唯唯諾諾と従うだけの 愚かな弟ではない…そうだろう?……俺の…最高の弟だ……」 どれほど時が経ったとはいえ、唯一人の弟だ 弟の成長を喜ばない兄など何処に居るというのだろうか。 「…まだ、俺の計画は終えてはいない……さぁ、俺の期待にどう応える…?……ミタカ…」 種はまだ蒔かれたばかりだ どれが芽吹くか、芽吹かせるかは……俺の間引き次第だろう 俺は眠ったままのミタカをひと撫でして部屋を出た。 そしてまたCOMPを繋いだままのパソコンの前に座ると、 ソースコード、オブジェクトファイルを開き、作業を再開した。 × 俺は、ナオヤさんとミタカと別れた後 ヒルズの前で駅の封鎖が解除されるのを待っていた。 途中携帯が使えるようになったから、インターネットに繋いで今回の封鎖が外からは どんな扱いになってるのか見てみることにした。 手近なニュースサイトを開いてみると、 芸能、経済、国際と言った項目以外は、ほとんどと言っていいほど封鎖の事が書かれていた。 『…山手線毒ガステロ、その目的と首謀者とは?』 『政府、対応の悪さが目立つ…国民射殺』 『犯行声明未だ無し…東京封鎖、非難集中…』 …こんな感じの見出しがいくつも並んでいる。 上から順に見てみると、どれも毒ガス流出による山手線各駅の緊急封鎖、 安全確保のための封鎖内外の往来の禁止、抵抗住民の射殺問題… そんな事が文体やニュアンスを変えて書いてあるだけだった。 どこにも「悪魔」や「翔門会」、「ベルの王位争い」なんて事は書かれてないし、 ”悪魔を制御し、それを技術として利用する”という結末も載ってなかった。 「…だよなぁ……そんなこと書いたって、誰も信じるわけないよな…」 政府による情報操作の力を思い知らされるだけだった。 けれど…いずれ悪魔の技術利用法が確定したら……俺たちの世界に、悪魔が当たり前として 存在することが認識される時代が来るのかもしれない。 そう考えると、自分の住んでいる地域が新聞やテレビで取り上げられた時みたいな 妙な嬉しさが感じられた。 「俺たちが……封鎖を解除させたんだよな…」 そう呟くと、ふと後ろから声がした。 「そのとーり、本ッ当に良くやってくれたねぇ〜」 「…ッ!?」 慌てて振り向くと、俺のすぐ後ろに封鎖内で会ったチャラ男が立っていた。 「…お前ッ…歌舞伎町の!」 驚いて一歩飛び退ると チャラ男は俺の様子を意に介した風もなく、 「君の考えが封鎖を解除させたんだって?すごいすごい……君はよくやったよ」 適当に手を叩きながらニヤニヤ笑っている。 「……何しに来たんだよ」 俺がチャラ男を睨みながら言うと、 「そうだねぇ…ヒトの力でこの封鎖を解除させた君に…ご褒美をあげようと思って…ね」 あくまでニヤニヤした顔は崩さずに、チャラ男は続ける 「…ご褒美……?」 意図が読み取れないでいると、チャラ男は夕焼けに染まったヒルズを見上げながら 「そ、ご褒美…そのまんまの意味だよ?せっかくヒトの可能性を見られたんだ… ここでオシマイにしてもらっちゃつまらないのさ…」 と呟いた。 「そ、その…褒美ってのは、何だよ…」 俺からは丁度逆光になってチャラ男の顔は見えなかったけれど、 俺は、黄昏時のせいか何処か不気味に見えるこの男に、知らず知らずのうちに気押されていた。 けれど次の瞬間にこちらを向いたときには、また何処か人を馬鹿にしたような 人懐っこい笑みを浮かべていた。 「…君に、悪魔の技術利用のための研究所を見せてあげるよ」 最初、コイツが何て言ったか…良く分からなかった。 「え……えぇっ!?」 言われた事に理解が追いついてなくて目を瞬かせると、 「だから、政府が設置した悪魔の技術利用の研究所だってば… まぁ、サーバーがこの場所にある以上、研究所もこのヒルズの上階になるんだけどね」 チャラ男が俺の反応を愉しむように言った。 「な、なんで…俺なんかにそんな話……」 確かに研究所には興味があったけど、そういうのは正直俺なんかより ナオヤさんに話が行くものだと思ってた。 俺みたいな見習い…っていうか、半人前にはまだ早い話だと思ってた。 「そりゃあ…ご褒美だからさ……見たいでしょ?施設」 からかい半分に言うチャラ男の話に、俺は自分でも驚くほど惹きつけられているのに気がついた。 「…そんな話が簡単に信じられるわけ……」 口ではそう言っていても、俺は心のどこかで、チャラ男の話を信じてしまっていた。 「…ま、信じる信じないは君の選択に任せるよ……ボクの話がウソだと思うなら 来なければいいだけの話だしね…そうすれば、君に不利益は何にもないはずさ…」 「そ、それで…どうすれば、その、ヒルズに設置されたって言う…研究所を見られるんだよ」 俺の言葉にチャラ男は何処か纏わりつくような笑みを浮かべると 「明日の午前10時に、この場所まで来るといいよ…そうしたら、君は研究所に入れる 勝手に中に入らず、ただこの場所…ヒルズの前まで来ればいい…簡単でしょ?」 と、背後に聳える建物を示しながら囁いた。 俺がヒルズを見遣ると、チャラ男は満足そうに頷いて 「それじゃあ…ボクを失望させないでね…」 と呟いて歩き出した。 それと同時に、また前みたいに突風が吹いて奴の姿は見えなくなってしまった。 「…明日の……午前、10時…」 この時には、もう俺の心は決まっていた。
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