「あの…アイギスです。開けて…もらえませんか?」
扉の向こうから 昨日学園前で見た時と同じ、どこかおどおどとしたアイギスの声が聞こえてきた。
僕は立ち上がると、扉を開けた。

アイギスは躊躇うように部屋に入ると、俯いて手で涙を拭う仕草をした。
涙…まさか、記憶を……?


僕が内心緊張して見ていると、アイギスは顔を上げた。
その顔は泣き笑いの様な表情をしていたけれど、彼女の眼には喜びが滲んでいた。
「よかった…また、あなたと会えた…… ごめんなさい、急にきて…だけど、わたし… どうしても、話がしたくて…」
アイギスはそう言うと、何かを握り締める様に胸に手を当てた。

「別に構わない、どうしたの?」
あえて、“記憶が戻った”という事は言わずに何気ない風を装うと、、
アイギスは再び涙をぬぐいながら
「わたし…思い出したんです。皆さんは忘れちゃってるみたいですけど、
 わたし…また、思い出した…わたしたち… あの時…」
“あの時”……とても言いにくそうにしてるけど…僕が一人で行った後の事だろうか…

「大丈夫、泣かなくてもいい」
安心させるように言ってやるとアイギスは少し俯いて、
「すみません、こんな…… ただ、全部思い出したら、なんだか…
あの最後の戦いの時みたいに、あなたが、遠くへ行っちゃいそうで…」

“遠く”僕はその言葉に何か感じるものがあったけど、今は記憶が戻ってまだ不安なんだろうアイギスを安心させてあげないと…。
「そんな事ない、僕は今ここに居るよ」
そう言ってやると少しは安心したのか、気を取り直したように微笑んだ。
「今日…”卒業式の日”…ですよね……ごめんなさい…式、もう始まっちゃいましたね…」
少し困ったようにいいながら、窓の外を見遣る。
「外…とってもいい天気ですよ。覚えてますか?みんなで約束した場所…先に行ってましょう。
 平穏の戻ったこの町が、一番良く見えるところに」


アイギスはくるりと身を翻して振り返ると、僕に手を差し出した。


×


『…いよいよお別れのときが迫りました。最後になりますが、私達は先輩方にお会いできたことを心から誇りに思います。
皆様方のご健康とご活躍を心よりお祈りし、お別れの言葉と致します。二〇一〇年、吉日、在校生一同より』

在校生代表の女の子の話を聞き流しながら、俺は何かシャクゼンとしないものを感じていた。

ここんトコ、なんか忘れてるような…けど、そのなんかが判んねーみてーな、そんな感じが続いてる。
知ってるはずの人が思い出せねえ、やったはずの行いが不確かで、俺っつーものがアイマイになったような感じがする。

女の子が去っていくのをぼんやり眺めながら、俺は考える。
(…俺、何を忘れちまったんだ………?)
昨日の真田先輩の部屋の片付け中にも感じた、じれったいような変な感覚の中を、頭ん中だけがぐるぐると巡ってる。


『続きまして、卒業生、答辞。卒業生代表、D組、桐条美鶴さん』
『はい』


その声に顔をあげると、朝礼で何度も見たように、生徒会長が壇上へ上がって行くのが見える。
俺にとっては縁もゆかりもない人の筈なのに どこか懐かしいような、俺はあの人を知っているような気がした。
そんなキョーシュー?にも似た事を感じながら、俺は会長の演説に耳を傾けた。


『学園で過ごした最後の年は、私にとって大役を拝命しての1年となりました。生徒会長の任を果たすに当たり、
私は考え、1年前のこの壇上で、皆さんに言いました。未来の時間には限りがあるという事から、
眼を逸らしてはいけないと。思えばこれを考える機会を与えられたのは運命だったのかも知れません。
ご存知の方もあるかと思いますが、私は去年、父を………父を…病で失うという、試練に…』


(珍しい、あの桐条先輩がつっかえてるなんて…)
そう思っていると、先輩は壇上にいるってのに なにか小さく呟いてる。


『病で…失った…?』


俺は周りの喧騒に掻き消えちまいそうなその一言になにかを思い出したような気がした。
なにかがふっと浮かんだみてーな、そんな感覚だった。
「……俺…」
なんか、今の感覚のヒントがあるんじゃないかとあたりを見回すと、卒業生の方からさっき俺が思った事みてーな声が聞こえてきた。


「珍しいな。あの人がスピーチつっかえるなんてさ」
「こういう場所だし…お父さんの事、少し思い出しちゃったんじゃない…?」
卒業生だけじゃなく、いつのまにかザワザワは俺の周りやセンセー達からも聞こえてきた。
それでも桐条先輩は、壇上で呆然としたような顔をしていた。


『私は…私は、父の死に触れ、 一度は生きる意味さえ失いかけた…』


演説というよりは独白っぽい先輩の言葉を聴きながら、俺はモヤがかかったような“何か”がハッキリしてくのを感じた。
前の席ではゆかりっちがなんかに気付いたみたいに、
「あれ…わたし 今大切なこと…」
って呟くのが聞こえた。

(…そうだ、俺……)
ようやく何を忘れていたのかはっきりしかけた時、俺はイキナリ誰かに肩を叩かれた。
叩かれた方を見ると、いつの間にいたのか、真田先輩が立っていた。
「あれ…真田 先輩… うわっ ちょ、何すか!?」
先輩は俺を立ち上がらせると、壇上の桐条先輩を見遣った。
俺もつられてみると、視界の端で風花が立ち上がるのが見えた。


『でも今は違う…父の意思は私が継ぐ…未来から逃げない 必ず受けて立つ 過去にはもう一点の曇りも無い なぜなら…』


風花が俺達の傍に来た時、俺達はようやく全部思い出した。
「約束!」
俺の言葉に風花と真田先輩が顔を見合せ、頷く。
そしてステージ前へ向かった。
そうだ…俺達は……アイツは……


『…なぜなら…私には大切な仲間がいて…』
先輩も思い出したのか、表情にメーカクな意志が灯ってるっぽくなってる


『…どんな未来からも眼を背けないと、誓い合ったからだ!』
先輩が壇上から飛び降りるのを待って、俺達は顔を見合わせあう。ずっと会って無かったみたいな懐かしさを感じながら、

「先輩 私達、あいつと…アイギスのこと…」
「ああ、わかっている……みんな、行こう!」
ゆかりっちの言葉に、先輩が応える。
そうだ 俺達には、待ってる奴が居るんだ。卒業式なんて、やってられっか!
俺達は頷き合うと、“約束”を果たすために走り出した。


「おい、まちなさーい!式の最中だぞ!」
センセーの言葉を無視して、俺達は進んで行く。
ようやく思い出した絆を感じながら。

×


屋上…アイギスは僕をひざ枕しながら、宙を舞う桜を見ている。
柔らかく吹いてくる風に彼女は、気持ちよさそうに眼を細めながら中空に手を差し出した。



「風、気持ちいいですね…わたし…”春”をこうやって体験するの、初めてです」
初めての体験にどこか弾んだような、嬉しさを滲ませた声で言う。
僕も、こんなに穏やかで温かい春を感じるのは、ずいぶんと久しぶりかもしれない…

アイギスは差し出した手を下ろすと、影が差したように、
「でもこの季節も、やがて過ぎて行ってしまうんですね…」
と言った。
そう、季節は…過ぎるもの 留めて置けないもの。
……時は、待たない
初めてここに来た時に、あいつが僕に言った言葉だ。


アイギスは僕を見下ろすと、
「あなたと一緒に戦って…”世界の終わり”と向き合って……わたし…ようやく、
少し分かりました。わたしの探していたもの…”生きる”って、どういう事なのか…」
”生きる”僕もここに来て、みんなと出会って、ようやくわかったもの…。アイギスにとっての”生きる”事…

「それは多分…逃げないできちんと考えること…」
アイギスはあの時を思い出しているのか、少し真剣な顔をした。
そして、ふっと力を抜いてまた僕を見ると、
「”終わり”と向き合うこと…」
アイギスの碧い眼には、虚じゃない 僕の顔が映っていた。


「どんなものにも、必ず終わりが来る どんな命も、いつかは消えてしまう…
 それが自分にも来るっていう事を見つめた人だけが、きっと分かるんです…
 自分が本当に欲しいもの…生きる証が、何なのかって事が」


眼を閉じると、ニュクスと戦った あの時が思い出される。
みんな僕のせいなんだと泣く、綾時の姿が思い出される。


アイギスは不安そうな、歯痒そうな顔で僕を見ると
「自分の力が足りないって思った時、悔しくなった訳も…今なら分かります。
  守ることは…もう、わたしにとって、”与えられた役目”じゃなかったんです。
  いつの間にか、わたし自身の望みに変わってて…”滅び”と向き合うって決めた時、
  はっきり分かったんです」


“わたしは機械だから、みなさんを想って涙を流すことさえ出来ない…”

そう言ったあの時のアイギスを思い出す。

「二度とあなたに会えなくなるって想像したら…自分の望んでる事が、初めて分かりました」

アイギスはまた泣き笑いみたいな顔で僕を見ると、屋久島で初めて会った時の様に、はっきりと僕を見て告げた。
「だからわたし…決めたんです。わたし…これからもずっと、あなたを守りたい。あなたの力になりたい。
  こんなの、きっとわたしじゃなくたって出来る事だけど…でも、いいんです。その為なら、わたしはきっと、
  これからも”生きて”いけるから…」

…僕も、これからもアイギスの……みんなの力になりたい。絆が、僕にとっての生きる力だから…
アイギスと顔を見合わせると、アイギスも僕の表情に同じものを感じ取ったのか、
「ありがとう…」
と呟いた。

そう、僕たちはここで約束を交わした時から、ずっと同じ気持ちなんだ。だから…アイギスが泣く必要は無いんだ。
「泣かないで…大丈夫だから……」
そういってアイギスの“涙”をぬぐってあげると、

「そうですね、おかしいですね。せっかく、大切な事が分かったのに、こんな…」
と少し困ったように笑った。


「おぉーい!!」
ずっと下の方から順平の呼ぶ声が聞こえる…
あぁ……みんなも思い出したんだ…よかった…僕は、約束を果たせる。
また、みんなに会えるんだ…


「皆さん…」
アイギスは驚いたように言うと、声の聞こえた方に眼を遣った。そして、
「そうですね…わたしには、絆を結んだ人たちが居る…きっと、ありふれた事でいい…
大切な誰かのためにって、思えること…それだけで、人は、生きていけるんですね…」
眼を閉じて、その大切さを噛み締めるようにアイギスが言う。


綾時……人は確かに、愚かで どうしようもなくなって滅びを望む人だっている。けれど…
それでも人が生きることを止めないのは、大切な仲間が居るからなんだ…。
僕は君にも、そういう人がいたんだって事を、知ってほしかった……
あの時に言ってやれなかった 言ってやりたかった事を想う。
もう僕の中に居ない、ある意味での僕の半身に…


「わたしも、”生きて”いけます…あなたを守るためなら…」
うん、そうだね…
アイギスは、もう誰にとってもかけがえのない“命”だから…
春の陽射しが暖かい。
なんだか眠気が差してきた…


「ありがとう…本当に…疲れたでしょう…?今はゆっくり休んで…わたしはずっと、ここに居るから…」



たくさんの足音と、耳慣れた声が、近づいて来る…
「みんなとも、すぐに会えるから…」
アイギスの声を聴きながら、僕は自分の意識が遠退いて行くのを感じた。




「安心して…いつでも傍で…わたしが守るから…」


夢うつつで、僕はみんなが傍に走ってきたのを感じた。


「わーりぃ悪い、遅くなっちまった って、オイ!何その羨ましいシチュエーション!?」
「…うわ、ひざ枕だ」
「でもなんか絵になりますよね」
「…あれっ、天田君いつの間に?」
「初等部でも卒業式だったんですけど、貧血のフリして抜けて来ました。それで…来る途中でコロマルに会って……」
「ワン ワンッ」
「…まぁともかく、こんな所で立ち話も何だな。教師に見つかっても面倒だ。」
「……そうだな、積もる話もあるだろうが 戻ってからにしよう」
「アイギス、ソイツ寝ちゃってんの?」
「…はい、疲れてらっしゃるみたいで……」
「この状況で寝るかフツー… 俺だったら意地でも起きてるね」
「ハイハイ、いいから運んであげなよ」
「………ソレ、俺が寝てるパターンだったらゼッテー言われることねえんだろうな… 
チキショー…… ま、いいか。アイギス ソイツ貸し、俺が運ぶわ」
「…扱いは丁重にお願いしますね。」
「…ヒデエ!」
「よし、俺達の寮に戻るぞ」



会話だけがぼんやりした意識に入ってくる…。
僕はどうやら、順平に背負われてるみたいだ……



その後断片的に眼を覚ました時にうっすら見えたみんなの顔は、桜並木の中で輝いてるみたいだった



次に眼を覚ました時、僕は自分の部屋のベットにいた。


まだ夜には早いのか、窓から西日が差している。
一階のラウンジからは、みんなの楽しそうな声が聞こえて来る
僕もみんなの所へ行って、話をしたかった
……けど、躯に力が入らなくなってきている もう、時間が無いのか…



しばらくすると僕はまた眠りの波に呑まれていった…





なにかの気配で、また眼が覚めた。
深夜になったのか、寮は夜独特の、しんとした空気に包まれている。
もう身体の感覚が殆ど無く、腕を動かすのも難しいくらいだったけど、なんとか首を動かしてベット脇に眼を遣ると、


見慣れた黒いスラックスと、黄色いマフラーの端が見えた。


「……!」
あまりの事で、声が出なかった
だって…君は……


僕の驚きを感じ取ったのか、暗闇の中でスラックスの影が微かに笑ったような気がした。
一拍置いて、
「…久しぶりだね」
と囁く声が聞こえた。


「どうして……」
ここに、その姿で、 言いたいことはいくつかあったけど、何を言っていいのか、言葉が出なかった。
「…どうしてだろうね。どうして、僕は……また君の前にいるんだろう…全部、終わった筈なのに……」
どこか自嘲するように影が言う。
「…………」
僕が黙っていると、


「…………………ごめん」
暫くの沈黙の後に聞こえたのは、謝罪だった。


僕はその謝罪が何を意味するのか判っていた。
そして僕がどうなるのかも表していた。
「謝る必要なんて、無い」
僕が言うと、
「…だって、僕さえいなければこんな事にはならなかった。ゆかりさんも、天田君も、荒垣さんも、美鶴さんも…………」
かぶりを振っているのか、マフラーの端が左右に揺れている。
「……僕は」
「君だって、両親をなくすことも、叔母さんと揉めることも、
 一人になることも無かった。普通の、一人の少年として 生きていけた筈なんだ……!」
僕の言葉を遮って、半ば叫ぶように影が言う
呼吸が荒いのか、視界の端に見える手が僅かに上下する。


「…ごめん、本当にごめん……」
また泣きそうに謝る。


「…君が悪いんじゃない」
僕が言うと、
「どうして……どうしてそんなことが言えるんだ。 ここの人達は…みんな……いっその事、
 罵ってくれた方が、責めてもらった方が楽なのに……そうすれば、僕も無慈悲な死の化身として………」
本当に泣いているのか、月明かりに零れた涙が反射する。
にぎりしめた両の拳が、小刻みに震えている。

「…だってそうだろう? 君が……僕の中にいなければ僕は…この力を手に入れることは無かった。 
 それに、君はどんな些細な事でも僕に教えてくれたじゃないか。僕は確かに一人だった、
 けど みんなに会えて、みんなのおかげで僕は変われた………」
僕は、ここへ来て絆を結んだ 沢山の人を思い浮かべる。その中には、もちろん綾時も、ファルロスの姿もあった。


だから、綾時…


僕は感覚のない腕を持ち上げて、アイギスにしたように涙を拭おうとした。
けれど届かなかったのか、僕の腕はどこかひんやりとした夜の空気を撫でるだけだった。
「…君が居てくれて本当に良かった、……ありがとう」
腕を伸ばしたまま、暗闇ではっきりと見えない綾時の顔を見上げながら僕は言った。


綾時は何も言わずに、僕の伸ばした手を取った
その手は華奢で、柔らかな人の温もりがあった。


「………君に逢えて良かった」


あ……また、眠気が襲ってきた
もうこれで、最期だろうな……


ゆっくりと、握った手の感触が薄れていく…






…みんな……本当に…ありがとう…………
……さよなら



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